助け合いというより、与え合いという支え合い

 

こんにちは^^

ツギツナグの橋本和明(@tsugitsunagu) です

www.hashimotokazuaki.com

 

「地域には都会とは違い助け合いの精神が残っている」

 

「結」が残っている

 

といわれていますが、生活していて助け合いというよりかは与え合いのように感じています。

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目次

 

日常的にある、与え合い

というのも、今日、集落の方が入院しているところにお見舞いに行ったときのことです。

 

ぼくはその方の体調や回復状況が分からなかったので、何も持たず手ぶらでいきました。

 

そしたら元気に出迎えてくれて、お茶とバナナをご馳走してくれた。

 

こんなことは荻ノ島に来てからたくさんあって、何かを貰いに行ったわけではないのに帰る頃には手にいっぱいの野菜を持ってる。お惣菜を持っているということの毎日です。

 

こういう経験を考えてみると、べつに困っていて助けてほしいから、助け合わないといけないから助け合うというよりかは、与え合っているという表現のほうが正しいのかなと思います。

 

助け合いと、与え合いは違う

これは単なる言葉の違いのように感じるかもしれませんが、生活してみるとだいぶニュアンスが違うことがわかります。

 

実際、「もう田んぼ自分じゃできないから管理お願いできるかな?」とか「稲刈り大変だから手伝ってほしい」とか困っていて助け合うという場面も多くあります。

 

でも日常的に行われているベースは、与え合いのような感じです。

 

もし、「助け合い」がベースにあると、困っていないときは助けなくていい

 

言ってしまえば、交流しなくて1人で生活してもいい。困ったときだけ力を貸し合えばいい。

 

これは今の都会の形や、企業の体系におそらく近いですね。

 

一方で、「与え合い」は与えたいときに与える。困ったときなどは関係なく、お隣さんに、仲のいい友達に、好きな人に与える。

 

だから、無理がないし温かい。

 

いつも与えてもらってるから、与えようと自然に思うようになる

 

そんな循環で田舎の空気は成り立っているようにも思います。

 

都会にはない感覚

この与え合いという感覚は、今の都会ではなくなりつつあるんじゃないかと思っています。

 

都会というか今の社会では与えられることが一方的に増えている

 

ぼくも22年生きてきて、気づけばなんでも無料になっていて、気づけば逆に物がもらえるようになった(最近では携帯会社の特典とか多くありますよね)

 

与えられるのが当たり前。

 

この感覚を持って、この感覚で育って、田舎がいいなぁ~と思って地域に移住して、しんどくなってしまう人も多いんじゃないでしょうか?

 

なぜなら地域にあるのはあくまでも与え合い。

 

いきなり移住してきた見ず知らずの人が、たくさん与えてもらっているのに自分のことばっかりして、与えることをしない

 

しかも何してるかわからない。となれば不審がられるし、受け入れられないのは当たり前のようにも思います。

 

そして移住してきた方としては、せっかく限界集落に移住してきてやったのに受け入れられない。もうここを出よう。というサイクルにはまってしまうのもなくはないと思っています。

 

(モンスターペアレントとかの問題も与えられることに慣れすぎて生じるものだと考えてます)

 

与え合いは田舎でもなくなりつつある?

完全に与え合いがなくなっている田舎はまだ少ないようにも思いますが、与え合いがある地域がなくなりつつあるのも現実のようにも思います。

 

人口減少と少子高齢化によって、村にいるのが老人ばっかになってくる。

 

若者がいなくてあとは廃村を待つのみ。そんな希望のない状態では与え合ったり、助け合ったりする場面や気力もしだいになくなっていくように感じます。

 

そういう田舎にはやり場のない与え合いがあるんだと思います。

 

そして、田舎の都会化というのもなくなりつつある要因の一つに思います。

 

たとえば、ご飯の作り方

 

「この作り方がおいしかったから、これあげるからあんたも作ってみ~」と教えなくてもインターネットで調べればだいたい出てくる

 

自己完結するから、与え合わなくてもよくなる

 

なんでも自己完結してしまう便利さというのはやはりコミュニケーションを奪う場面もあるように思います。

 

なんでも使いようですね~

 

まとめ

与え合いはなくてもいいと言われればなくてもいいのかもしれません。でも、ぼくはあってほしいと思います。なんでかって温かいし嬉しいから。たったそれだけの理由ですが守っていきたいなあと思うものです。

 

そんなことを思うからぼくは物々交換が好きなのかもしれません。

 

橋本和明

 

p.s.

野菜が収穫を向かえ、できた野菜の半数は関西にいる仲間や元バイト先、実家などに贈りました。

 

これまでにも何回か贈っているんですが、お礼にお酒を贈ってくれたり、雪駄がつぶれたとFacebookで投稿したら1分もたたないうちにコメントをくれて買ってくれたりと、物々交換したり想いの交換したり、与え合いながら(ぼく的にはかなり一方的に支えられて生きている感じですが)生きています

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写真は大学時代のバイト先から贈られてきたお酒と柚子こしょう(写真には写っていないが大量のお箸も)

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