「アルベルゴ・ディフーゾ」イタリア現地に研修いってきた!
以前、ブログにも書いたように、年度末の3月26日~31日の期間でイタリアに研修旅行に行っていました!
詳しくはこちら ↓↓
観光の勉強に行ったわけですが、訪れたのはローマでもミラノでもなくPortico di Romagna (ポルティコ・ディ・ロマーニャ) [以下ポルティコ] という小さな村でした。
この村の状況はとても日本の地域と似ていて、だからこそ、その取り組みは参考になるものばかりでした。
Portico di Romagnaについて
ポルティコはEmilia Romagna州の一部で、場所にするとフィレンツェの右に位置します。
- 1970年代頃までは650人程度いた人口も今では300人。
- 役場は周辺の3つの村で1か所、観光案内所などもありません。
- 空き家が多くなり、夏だけ住んだり別荘地化している部分もある。
- 学校も少なくなり、村には幼稚園と小学校のみとなっている。
- 行政の観光予算は€1000(132000円)/年しかなく、全く使わない年もある。
そんな日本の地域と似たような問題を抱えながらも、ポルティコは年間約70000人(イタリア人80%、外国人20%)が訪れる場所となっています。
そのヒントがアルベルゴ・ディフーゾという仕組みにあります。
アルベルゴ・ディフーゾとは
アルベルゴ・ディフーゾはまだ日本でのなじみは浅く、いまいち定義もはっきりしていませんが「分散型ホテル」と訳されています。
定義がはっきりしていないのでイメージでいうと、「村全体がホテルとなり、訪れた人はそこの住人の一員のように暮らすように滞在する」という仕組みです。
例えていうなら、アグリツーリズムの「家族」の枠を超え、「コミュニティ」を一員を目指すものであると考えられる。
アルベルゴ・ディフーゾと呼ぶには様々な要素があるようですが、宿は空き家となっている建物をできるだけ暮らしの見える形で残し、宿泊できる態勢に整え、食事やカフェなどは宿の中ではなく村の中の店に行くようなかたち。
受付や食堂は地域に一か所でいいので地域内で客の取り合いをしない。リスク分散もできる。
つまり、ないものをつくるのではなく、あるものを活かす取り組みである。
これは日本の地域がこれから目指すべき姿のように感じました。
アルベルゴ・ディフーゾはこのポルティコだけではなくいくつかの場所で行われているのだが参考になると感じた部分について以下で紹介します。
参考にしたい考え方
・人に会いにくる
どこに行っても美味しいものがある。美しい景色がある。均一化してちがいがわからないほど同じになった横並びの時代に差別化を図るのは、やはり人だと感じた。
ポルティコを訪れる人はリピーターが多い。彼らは宿の女将のマリーザに会いに来る。彼女の笑顔を見に来る。リピーターになる理由、ここじゃないといけない理由をつくる。「誰から」の時代になってきている。
・当たり前を価値化する
「その土地でしか手に入らないものを守り続ける」「当たり前だと思っているものが当たり前でないことに気付く」ということをよく言っていました。当たり前だと思っているのは世界を知らないからかもしれないと感じた。
例えば「水」。イタリアでは買う物である。しかもあんまり美味しくない。一方、日本ではじゃんじゃん湧いているし美味しい。これだけでもうコンテンツと成り得る。そうして当たり前のものの価値を上げていくことが重要。
・とにかくパッケージ化
もし自分が旅行者だったら何がしたいかで考える。教える人の質を上げることも重要。パッケージ化してお金にすることは持続していくために重要。
だが体験はいつもやってることでいい。それをおすそ分けするような感覚。がちがちに固めすぎると楽しくない。やるかやらないかは選択できて、偶発性的要素があるくらいが重要と感じた。
実際に体験したトリュフハントはトリュフ犬と山に散策に行き、トリュフは小さいのが一つしか取れなかったが「犬が見つけられなかったら仕方ないよね」という雰囲気でアクティビティ要素もあり納得のいくものだった。(夕食でトリュフは振る舞われた)
・語学学校 ×
ポルティコでは年金暮らしやお金と時間に余裕が出てきた50歳以上を対象に午前中は語学学校、午後はモノづくりや料理教室というプログラムを行っていた。
モノづくりなどだけではすぐに終わってしまい、滞在も少ないが語学学校(2週間)とセットにすることで長期滞在し、お金を落としてもらえる。またゆったり滞在してもらうことで地域の良さを深く知ってもらうきっかけにもなる。リピーターにもなり得る。
実際、講師代などを引くと語学学校でのもうけは少ないようだが宿泊や食事で儲けを出しているようだ。
・目に付く場所に宣伝要素
朝食をとる入口に新聞記事や掲載された雑誌などが置いてある。こうしたアピールは客観的評価があることを訪れた人に示すことができる。
・観光案内所をつくる
情報が集約している場所。そこに行けばすべてがわかるような場所がないとお客さんはどこへ行けばいいかわからない。近くにいい場所があっても訪れられなければ意味がない。土地の歴史や場所の説明もできない。
・店をつくる
当たり前だけど、店がないとお客さんは物を買えない。つまりお金が落ちない。シンプルだけど重要な視点。店があるかないかだけで町の魅力は全然違うと感じた。
・一緒に楽しむ
イタリアでは食事の後の演奏やダンスなど一緒に楽しむ時間があった。歌詞なんて全然わからない、踊りなんてしらない。けれどそんなことはそれほど重要ではなかった。一緒に楽しむという時間がただただ嬉しい。それでいい。
・役割をつくる
ポルティコでも村の人全員がまちおこし活動に関わっているわけではない。でもダンスや一芸などハードルが低いところでいいので手伝いとして参加させる。役割をつくる。まず住んで良しのまちでないとお客さんはこない。
・ベンチを設置する
ポルティコには20mに1つくらいはベンチが設置されていた。バール(地元の人や外の人が集まり交流できる場)文化がある上に、こうしたベンチを設置することで、町を眺める余裕やゆったり感、風土を生むと感じた。ベンチが交流の場になる。
・PRは直接
今の時代はインターネットでも情報発信できる時代だが、広報はイベントなどに参加したり直接行うようにする。海外に行くこともあったという。その際に体験できる商品などを持っていき、来ればこれが体験できるとその場で見せる。直接会って感じてもらうことが大切。外国人に来てほしければ外国人のいる場所に広報に行く。
・ターゲットは高級層
ターゲットはお金に余裕もあり、長期でゆったり旅行をするような高級層。イタリアの場合は北欧が該当する。日本なら欧米?高級層にアプローチするとそこからは口コミでいいお客さんが来やすい。いま中国の観光客でも1か所に長期滞在してゆったりとした旅行を望んでいる。
ポルティコ滞在費
(€1 =132円)
ポルティコ2日間の日程
1日目
①夕方にチェックイン
②1時間ほどの集落案内
③夕食&宴会 (音楽&ダンス)
2日目
①朝食
②集落案内
③料理教室
④昼食
⑤トリュフハント
⑥火山案内
⑦集落内で買い物
⑧マリーザとの話し合い
⑨夕食
3日目
①朝食
②記念撮影
チェックアウト
参考図書
今回のイタリア研修に参加する際に、参考図書として薦められたスローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 (光文社新書) 島村菜津はイタリアのいくつかの村の事例を取り上げたとてもいい本でした。
ここ最近出会った本の中で一番タメになっています。以下、本の中で考えさせられた部分です。
「当時、町の人口は1万3000人にまで回復していた。だが、決して3万人にはしたくなかったんだ」
「人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る小さな町づくりを心がけよう」
「大きな町では、持続可能な発展は難しい。良いバールは潰れ、職人は仕事を失い、個人店はフランチャイジングの大手に、名画座は巨大なシネコンに変わる。こうして町は顔を失い、どこでもない場所になっていく。」
「古いものと新しいもの、ローテクとハイテク、伝統の保存と最新の技術、それらがうまく調和することが大切なんだ。そこから何か面白いものが生まれる。」
「日本にはゆっくり風景を眺めまわしたいような場所にも、腰を落ち着ける場所がちっともないなあ。案外と都会の人だけじゃなくて、こんなきれいな農村に暮らしている人も、ばたばたと暮らしに追われて、自分たちが住んでいる地元がきれいだ、とじっくり眺めるようなことをしてないんじゃないか」
「派手な史跡や美術館こそありませんでしたが、むしろ環境の時代に求められるものは、何もかもあったんです」
「そろそろ現代人は、場所についてのセンスを取り戻すべきではないか」
「ないものねだりからあるもの探し」
節々で、あ~そうだよなぁ~ってめっちゃなります。
特にあとがき「場所のセンスを取り戻すための処方箋」は9章までの内容を8つの項目で要約してあり、勇気のもらえる言葉がたくさんありました。
勉強したい方がいればおススメです!!
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感想
2回目の海外旅行。初のヨーロッパは勉強になることがたくさんでした。
まず、感じたのはイタリア人はとてもしたたかで美しいということでした。例えば売店のお兄さん。お客さんがいないときは普通に肘ついてスマホさわってます。かと思ったらめちゃくちゃ客引きしてきたりします。
日本だとありえない光景ですが、いい意味で成果主義、自己責任主義なのだろうなあと感じました。こりゃあ仕事に病んで鬱になる人なんていなさそう。日本も見習うべきとこはあるように思いました。
また、イタリアでは「行政や政府はたよりにできないから自分たちの暮らしは自分たちでをつくる。」という流れがある。この流れは今の日本の若者の間で起こってることそのままだと感じた。
例えば、若者が選挙に行かないのは、選挙に行っても自分たちの暮らしは一向に良くならないからだろう。効率が悪いからそんなものに頼るなら自分たちで作ったほうが早い。そうどこかで判断しているからだと思います。
そもそも自分たちの地域のことを行政にどうにかしてもらおうという考えがおかしかったのかもしれない。
やはり自分たちの未来は自分たちがつくっていかないといけない。行動していかないといけない。そう感じたいい旅行でした。
橋本和明
p.s. 荻ノ島と比べて
イタリア旅行中ずっとぼくの暮らしている荻ノ島と比べるて歩いていたんですが、似ているところがたくさんありました。
・ポルティコは最寄りの駅から車で40分の場所にあった。徐々に山の風景に変わっていく景色は柏崎駅から荻ノ島に向かう道に似ていた。
・イタリアは緯度の高さが日本と近いことから植生も似ていた。
・そもそもアルベルゴ・ディフーゾの誕生は1976年に起きた地震がキッカケだった。その復興がきっかけで町のイメージは変わり、注目を浴びた。
・アルベルゴ・ディフーゾの取り組みをしている町の中には脱原発に取り組んでいる場所もある。しかもその決め手となったのは東日本大震災である。
・町の規模は3つの村で700人。
・年金暮らしの人が多い。
・移住者は昨年2人と少しずつでている。
・試行錯誤しながらいまだ奮闘中。
・リピーターや質のいいお客さんを求めている。
似ているからこそいい点を取り入れてまねできると感じました。共働していきたいですね。