おばあちゃんの役割を奪ってはいけない!あなたは自分の役割を感じてますか?

 

こんにちは!!

ツギツナグの橋本和明です^^

現代の百姓を目指して修行中!!

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新卒1年目、大学を卒業して就職をせず田舎に移住したぼくのプロフィール 

 

“役割があるからぼくたちはここに居場所がある”

 

大学時代にPaKTという団体で活動していた時

何回も聞いて学んだことです

とても身に染みています

今日はそんな役割について。

 

目次

 

役割があるから仕事になる

 

仕事は社会に役割があるから仕事になっている

ぼくはそんな風に感じています

なら仕事をしていない人は役割はないのか?

そんなことはないですよね

 

そもそも仕事ってなんやねん

という話になりそうですが

ここでは賃金をいただく系のものを

仕事ということにします

 

話を戻します

仕事をしていない人にも役割はあります

 

でも案外

役割を奪ってしまっていることも

あるんじゃないのかなぁ~

と思います

 

たとえばおばあちゃん

野菜をつくるのが日課でした

それが楽しみだった

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でも足腰が弱ってきたから

もうやめときな~っていうのは

役割を奪っているかもしれません

 

たしかに

足腰が弱ってきて

体力も無くなってきているかもしれない

 

でも

野菜を育て

家族の野菜をつくること

それは立派な役割です

 

もしかしたら今の時代は

買うほうが安いのかもしれない

それでもおばあちゃんの作った野菜は

そこにしか存在しないもので

買ったものでは決して得られないものがあります

 

足腰が弱ってきたから

野菜を育てるのをやめさせて

家の中でずっといさせる

それはより不健康を招いてるかもしれません

 

 

役割なく生きて意味はあるのか

 

足腰が弱ってきてからも外に出てたら

骨折することもあるかもしれません

残念がらその骨折が原因で亡くなられる

そんな話も聞きます。

 

おばあちゃんの息子家族からしたら

あまり目の届かないところで怪我をしたら大変

熱中症で倒れていてもすぐに助けられない

 

そう思う気持ちもあって

「もうやめときな~」

ということになるんだとは思いますが

 

家に閉じこもってしまえば

それこそ体力は下がる

楽しみが奪われて心も廃る

 

役割がなくなって

ただなんもない生活の毎日

そのほうがぼくは本当は

辛いんじゃないかな~

 と思います

 

人間いつかは死んでしまいます

ぼくも長生きしたいとは思いますが

長生きしたいのは楽しみがあるから

 

だから

長生き=正義

というわけではないです。

内容が伴ってないと

それはやっぱりつまんなくて辛いだけ

 

都会では感じられなかった役割

 

ぼくは就職をせず

荻ノ島という地域に移住しました

今後もここで生きていくつもりです

 

その理由の一つに

都会ではぼくの役割を感じなかった

ということがあります

 

あくまでもぼくの場合はですが

都会でこれをもっとこうしたほうがいい

こうしたほうがもっと社会がよくなるから

ぼくはこれを頑張ろう

そのためにこの企業に入って

この商品を売ろう

 

そんなふうに思うところは

ほとんどありませんでした。

 

だからやりたいと思うことも

特になかったです。

ぼくの役割を感じませんでした

 

でも

いわゆる田舎の荻ノ島に来てみて

生活をしてみると

これもっとこうしたほうがいい!

これしないとやばいな・・・

とか役割として感じられるものが

ほんとにたくさんありました

ちがう言い方をすれば課題が山積みです

 

でも

自分の役割をめちゃくちゃ感じます

やりたいこともたくさんできました

 

田舎にはやっぱり人がいない

 

人はいます

 

でも

いま地域に残っている知識や技を

活かすことのできる人は少ないです

 

若い人は求められていると思います

 

なぜなら

ぼくたちが簡単に使っている

スマホやパソコンの知識は

田舎に行けばとても重宝されて

活かすところがたくさんあるからです

 

ぼくたちの当り前は

地域の方にとってはすごいことだったりします

 

そしてその逆もあるので

化学反応が起こったりするんだと思います

 

ぼくたち世代は恵まれている

 

ぼくたちの世代は恵まれています

生まれた時から何でもありました

 

それが面白くなくて

地域に行って

1からツクルってことを

したい人も多いとは思うんですが

 

生まれたものからなんでもあった

というのはマイナスな面ではありません

 

なぜなら

生まれた時から

一流のデザインの中で

生活をしているということだからです

 

地域に行けば

もっとかっこよくしたら

見せ方を変えたら

今の人でもほしいと思うだろうにな~

というものがいっぱいあります

 

でも地域の人には

その発想がなかなか持てなかったりする

 

それは一流のデザインされたものを

見て育ってきていないからだと思います

 

一方でぼくたち世代は

それを見て育ってきてる

自然とこうしたほうがかっこよくなるって

知っているし

そうする方法も大体わかる

わからなければ調べられる

自分でできなければできそうな人を探せる

 

これは当たり前のようで

地域では当たり前ではないです

 

活かさない手はないですね。

 

まとめ

 

結論としては

地域には若者の役割がたくさんあるよ!

って話になりましたが

 

時間は差し迫っているように思います

 

多くの地域は高齢化率50%以上

いやもっとかな?

そして90まで生きる人がいたとしても

知恵とか技を教えたりできるのは

85歳とかまでが平均なんじゃないかと思います

 

化学反応を起こせる時間は

あとわずか・・・

たぶん10年もない

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そんなふうに

ちょっと危機に面してるって

思うのはぼくだけかな?

 

橋本和明

 

橋本

 

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