経済成長を目指すから、少子化が進むのかもしれない
こんにちは!!
ツギツナグの橋本和明(@zakukai69) です^^
現代の百姓を目指して修行中!!
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新卒1年目、大学を卒業して就職をせず田舎に移住したぼくのプロフィール
今日は、ぼくが荻ノ島という地域で生きていて感じる少子化についての話
目次
地域で感じる少子化
橋本愛が演じている映画「little forest」の始まりのナレーション
「小森は東北地方のとある村の中の小さな集落です。商店などはなく、ちょっとした買い物なら役場のある村の中心まで出ると、農協の小さなスーパーや商店が数軒。
行きはおおむね下りなので自転車で30分くらい。帰りはどのくらいにかかるかな……。
冬は雪のため徒歩になります。のんびり1時間半でしょうか。でもほとんどの人たちは、買い物は隣町の大きな郊外型のスーパーなんかに行くようです。わたしがそこに行くとなると、ほぼ1日がかりになります。」
映画を見たことのある方なら聞き覚えがあるとは思います。
荻ノ島は新潟県なので北陸地方ですがこの条件とほぼ同じ環境にあります。
いわゆる田舎です。
田舎の問題、いや日本全体の問題かもしれませんが荻ノ島のある高柳町で持少子化は進んでいます。幸い荻ノ島には20代の若者も数人いて、周辺の集落よりかはもしかしたら高齢化率は低いかもしれません。
ですが、やはり子供は少ない。
ぼくは人数がただ多ければいいとは思っていませんが、集落を残していくにはやはり後継者・担い手・若者・子供が必要になってくると思います。
近年、機械化やIT化が進み様々な業務が人間にとって代わって行われ人出はいらなくなる仕事もあるとは思いますが、山や自然を相手になるとするとまだ人間が対応していかないといけないことは多くあります。
大雨が降った時の水路の調整や田んぼの水抜き、機械的に処理できないことが里山にはまだたくさん残っています。
ですが、まあ若者や子供が集落には残っていない(基本的に)
でも、市内に行けばたくさん若者がいる。お祭りなんか行けばワンサカいます。
でもでも、少子化といわれている。晩婚化が進んでいる。それもあってか子供を産む人数も少なくなってきているこれはいったいなんなんだ?と疑問を持ったのが今回の記事の始まりです。
経済成長が少子化を推し進めている?
疑問を抱いた後、今たどり着いているのは「経済成長が少子化を推し進めている」ということですここです。
というのも戦後、復興に燃えた日本は経済成長を目指しました。地域から都市部へ多くの人が働きに出て、集落の人数は減り、都市圏に人口は集中する流れになりました。
そしていまだに日本は経済成長を目指しています。今働いてる人にほとんど意識はないようにも思いますが、ぼくの同世代・今年新卒1年目の仲間も毎日・毎週・毎月ノルマを追っかけています。
これは会社の成長を目指すものだと思うので、結果戦後から続く日本の経済成長の流れにまだ乗っているということになると思います。
ぼくはまだ、いわゆる結婚もしていないし、子供もいないです。なのでリアルにはわからないんですが、少子化は①お金がなくて育てられない。もしくは②子供はいなくてもいいと思う人がいるからだと思っています。
この原因の両方が経済成長を目指すことにあったのではないかとぼくはます。
①についていうと
お金で買うものが多すぎるからのように思います。
経済成長によってお金を作り、商品をどんどん開発して、お金を使ってそれを買って、企業はまたそのお金を使って新しい商品を作る。
これは会社の当り前の姿かもしれませんが、「なんだか商品が多すぎるなあ~」「なんでもありすぎるなぁ~」「これいらないだろ~」というものまで、何から何まで商品があふれすぎているな、とは思いませんか?
何が変わったのかわからないけど、似たようなものは持っているけど新商品だから買う、今の流行だから買う、別に親戚に服をもらえばいいけど新品がいいから買う、言ってしまえば大学にみんな行かせるから大学まで子供を行かせる。これもそのうちに入るんだと思っています。
何でもかんでもお金がかかるようにする。そうするとどんどんどんどん子育てにはお金がかかるということになる。
実際お金がかかる部分はありますが、何でもかんでもお金がかかるようにすると、子供を育てるのにかかるお金のベースがどんどん上がって、お金がないと子育てができないという風になるような気がしています。
なんだか生きていくためにではなく、お金を使うためにお金を稼いでいるというサイクルになりつつあるんじゃないでしょうか?
次に②についていうと
生活に手間がかからなくなったので子供が必要なくなったと思い込んでるということです
経済成長をした結果、生活はとても豊かになりました。このこと自体はとてもいいことです。
ですが、手間がかからなくなった分子供に手伝わせることもないし、働いてもらう必要もないし、別に子供は必要ないという感覚になっているんだと思います。
というのも農村でこれまで貧しく生活してきた日本人やアフリカなどいわゆるまだ発展途上の国は子供が多いイメージがあります。
これは働き手として子供はとても必要だったからだと思います。集落を維持していくのにも必要だったからだと思います。
でもいま、多くの場所や人の中で、地域や集落という概念がなくなりつつあり仕事もサラリーマンという形が多くなると手伝うこと(子供の役割)がなくなっているのだと思います。
結果、本当に極端に言ってしまえば子供は大人になるまでお金がかかり自分たちにお金が使えなくなるのでいらない
という考えに至るのではないかとぼくは感じています。
でも、今はかろうじて大丈夫だけど、少子化・人口減少が進み、日本の里山から人がいなくなれば災害は多発し、子供(集落の担い手)がいないことを山に住む人も、都市に住む人も、何もすることができず後悔してしまうことにつながりかねないと感じています。
「趣味が欲しい」という言葉が表すもの
これは上の話につながる部分ですが、ぼくの同世代の人の多くの人がよく「なんか趣味作らないとな~」とか「趣味ほしいな~」と言っています。
これってたぶん暇だからだと思うんですよ。
都会は時間や情報のスピードが速いので忙しいように見えているだけで、根本的には暇なんじゃないのかと思っています。真相はわかりません。本当は田舎と都会も同じ忙しさかもしれないし、田舎のほうが暇かもしれない。
でも「趣味を持たないと」という言葉は都会の情報やスピードから離されてしまうと都会では作ろうとしないといけないほど、することがないということだと思います。
それはしてもしなくてもいいこと。ということかもしれません。
「それが趣味だろ」と言われそうでもないですが、何か打ち込めるものがないということの表れなのだと感じます。
それは、もしかするとこれまでその土地でどう生きていくかを考え環境を整えてきて生きてきた人間が、環境が整いすぎたがゆえにすることがなくなり(しなくてもよくなった)打ち込めるやり場を失った姿なのかもしれません。
グラフで見る関係性
経済成長図
子供の生まれてる数
「これが反対だから関係性がある」というわけではないですが、グラフで見ても一応反対の動きをしていますね。
まとめ
ここまで経済成長をたたいて、少子化を何とかしないと…という感じで書いてきたように思うかもしれないですが、ぼくとしては子供を増やすことが必ずしも正義だとは思っていません。
もちろん今の日本にある集落のすべてを残すのであれば子供は高度経済成長期ほどいるのかもしれません。でも集落は残念ながら淘汰されていってしまうものなのだとぼくは思っています。
淘汰という言葉が悪すぎるかもしれませんが、人間が開いた土地が、人間が住まなくなったら自然に還っていくということです。いわゆる遺跡はこの跡ですし、この流れは人類や生物の歴史的に見ても当たり前の流れなのだとぼくは感じています。
ですが、ぼくは「経済成長は集落を救わない」とも思っています。
もし、日本の地域が都市部だけなら経済成長ベースでこれからも進んで行ってもいいのかもしれません。でも山の中に住んでる人たちの仕事(先に出た水路や山の管理)はお金にならないことも多い。お金にならないという理由で人間がどんどん出ていけば、人間の住むことのできる山「里山」はなくなります。
なので山や自然を管理する人は一定数必要だと思うんです。ただそれだけを仕事にとなると仕事にならないような気もするので、そこに住みながら、自然の恩恵を受けながら生活し、管理していくという形が自然体だと思います。
という理由で
里山に住む人が増えればいいなあと
子供も一定数生まれ続けてくれたらいいなあと思うわけです。
考え方は人それぞれですが、ぼくは荻ノ島が好きだから、ここが残ってほしいと思うから残そうとする。
それは言ってしまえば結局は自分の好きなことなんですが、これから残っていく地域はそういう人間がいる地域なんだと思うんですよね
わかんないけど。
長くなりましたが今日はここまで!
橋本和明