「地域を盛り上げる」という言葉の違和感

 

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こんにちは!!

ツギツナグの橋本和明です^^

現代の百姓を目指して修行中!!

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新卒1年目、大学を卒業して就職をせず田舎に移住したぼくのプロフィール - 

 

 荻ノ島に来て1か月

いろんな本を読んだり

いろんな人と話をしたりする中で

 

よく

「地域を盛り上げる!!」

という話が出てくるけど

それって何だ?

なんか変な感じがする。

と感じたので

ぼくの思うことを書こうと思います。

 

目次

 

地域を盛り上げるってどういうこと?

 

そもそも地域を盛り上げるってどういうこと?

 

言ってしまえば言葉のアヤかもしれませんが

 

地域を盛り上げるって何することなん??

って思います。

 

何するんそれ??

 

ぼくがイメージついてないだけかもですが

「地域を盛り上げる」って言ってる人の言葉から

どんなことをしたいのかってことが

なんか具体的に見えてこない。

 

そこにビジョンが感じられないことが多い。

 

それは地域に対しての

アクションの幅が広すぎて

やれることが沢山あるから

まだその人もイメージがついてないのかもですが

 

ぼくのイメージ

「盛り上げる」=人を呼ぶ、イベントする

という盛り上がってる感じは持続的でない気がする。

 

「地域=住むところ」は盛り上がりすぎたらいいということではないとおもんです。

 

地域を盛り上げたいわけじゃない

 

ぼくはあんまし

地域を盛り上げたいとは思ってません。

言葉が違うだけかもしれませんが

考えていることは

この集落が持続していくこと。

 

人をたくさん呼べば

確かにお金はいっぱい入ってくるかもしれない

けれどそれってどこまで続くんだろう?

 

そしてこの人口減少の時代

人をたくさん呼んでくるってことが

本当に正しい手段なのだろうか?

 

他の手段を模索するべきではないのか?

 

ぼくの身近な話でいうと

いま山菜ブームで

里山の山菜が少なくなってきている

大きさも小さくなっているようです

 

山菜は食べれば食料になるし

売ればまあまあのお金になる

でも採りすぎたら

それは一時の潤いで終わり

持続可能とは言えない。

 

いずれ里山としての機能も失われていく。

 

これは集落以外の人が入ってきて勝手に山菜を採っているという話だけでなく、集落・その土地に住む人についても言えることだと思います。荻ノ島に住む人がそんな行動をとっているということではないですが、採りすぎてしまえば自分で自分の住む環境を悪くしてしまう。

 

 一時の潤いを考えすぎてしまうと後に続かなくなる。

 

「地域を盛り上げる」というひとつの言葉から里山で生きていくには“足るを知る”の考えが、とても重要ということを改めて気づかせてもらいました。

 

いい日です。

 

橋本和明

 

 

p.s

梅雨なのに雨が降らず変な陽気。

野菜がちゃんと育つか心配です。

 

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