家族の影響を受けて、ぼくは生きている
こんにちは!!
ツギツナグの橋本和明です^^
現代の百姓を目指して修行中
詳しいプロフィールはこちら↓
http://www.hashimotokazuaki.com/entry/2017/05/31/224300
進路の選択にしても、何かを決断する時も「ぼくは、ぼくだ」と思ってきましたが
最近
自分の性格、進路についても
「自分の家族が影響しているなぁ〜」
と思うようになりました。
ぼくがお節介焼きな性格なのは
おそらく母親の影響です。
母親は今思えば関西のおかんという感じで、小さい頃は例のごとくよく飴ちゃんを持ち歩いていた記憶があります。
そして、一緒に病院に行くようなことがあれば、待っている時に知らない子どもに話しかけて、自分で折り紙で作ったおもちゃをあげていたりしてました。
それを見て、「わざわざ知らん子に声かけんなや〜」とか思ってましたが
いい言い方をすれば、気の利く親の立ち回りを見て育ったぼくも、気づけばお節介焼きの人間になっているように思います。
進路については父親が影響しているかもしれません。
ぼくは大学を卒業して、就職せず新潟のかやぶき集落 荻ノ島に移住しました。
ぼくの実家は工務店で、サラリーマンとして働きに出るというイメージが全く持たず育ちました。
それを就職しなかった理由にこじつけるのは、さすがに変ですが
今ぼくは荻ノ島の風景を残していくため、茅葺きの技術を習って屋根に登っています。
別に、実家を継ぐからとかそういう意識で茅葺きを習い始めたわけではないんですが、気づけば似たような世界にいる。
ぼくは父親の仕事現場とかはほとんど見たことないけど、これは、小さい頃から廃材の木がたくさん家にあって、木工とかする機会もたくさんあって、木に触れていたからかもしれないと思っています。
こんな話を聞きます
親から暴力を振るわれた子どもは、自分に子どもが生まれたときに同じように振舞ってしまう。
またその逆で、そうなりたくないと思って全く暴力なんて振るわない父親になる。
どちらの道に行くのかはその人次第ですが、必ず影響を受けているんだと思います。
進路にしても、子どもの頃、1番近くで働いている大人は多くの場合、自分の家族でしょう。
その次は学校の先生とかかな?
そして、ぼくが荻ノ島のお母さんたちの笑顔が好きで移住したのもぼくがおばあちゃん子だったからかもしれません。
これは誰しもが当てはまるかはわからないけど、今思えば影響してないって方がおかしな話ですね
そういう意味では、ぼくはどこか家族の分身なのかもしれない
11月くらい、分身に会いに帰ろうかな。
橋本和明