やりたいことよりを探すより、愛する人を探すこと

 

「やりたいことがない」

 

大学4年で

いわゆる就活シーズンの時

ぼくもよくある悩みを抱えてました

 

働いてる知人からも

「やっぱり自分のやりたいことじゃない」

「何のために頑張ってるのかわからない」

という話をよく聞きます

 

これって何でなんだろう?

とぼくは考えました。

 

何故なら

今のぼくは大学4年の頃とは違い

やりたいことが沢山あるからです。

 

何が変わったのかな?

と考えてみたら

 

1つの答えが出てきました。

 

f:id:kokonisumitai:20171025150930j:image

 

それは

愛する人がいること

愛する地域があることです。

 

変わったのは

頑張りたいと思える地域と

この人のために頑張りたいと思える人を

持ったことでした。

 

そう考えるとみんな

愛したいけど

頑張りたいけど

愛するほど頑張りたいと思える

人や地域がいないんじゃないかと思います。

 

もちろん

「成果目標達成!!」

「あの企業に勝つ」

「あいつに勝つ」

というモチベーションで

仕事ができる人は

それでいいとぼくは思います。

 

でもぼくは

お金を稼ぎまくりたいとは思わないし

その為に頑張るというのは無理だな

と感じて地域で生きようと決めました。

 

そして

「自分のやりたいことじゃない」

「何のために頑張ってるんだかわからない」

ということも起こっていません。

 

何故なら

愛する人や地域のために

何ができるんだろう?と考えること全てが

今のぼくのやりたいことであり

愛する人や地域のために

頑張ろうという意識があるからです。

 

これはいまの都会では

なかなか起こりにくい感情じゃないかと思います。

 

何故なら

都会ではお金を払って買ってしまえば

それで全てが解決してしまうからです。

 

この環境はとてつもなく楽です

何故なら人間関係をすっ飛ばしているから

 

売ってくれる人は誰でもよくて

その物が何円か、買えるのかどうか

で関係性が成り立つからです

 

欲しい物を探すのに

極端に手間がかからないです

 

でも

お金で解決してしまい

人間関係が欠落しているので

生かされている実感は湧きません

 

これが問題のように思います。

 

ぼくが地域で生活していて感じたのは

この生かされている実感がとても重要なんだなということです。

 

たとえば 

「あの人にこないだよくしてもらったから、何かお返しできないかなぁ??」

 

「こないだ助けてもらったから、今回助けに行かないと!!」

 

など、人間関係があれば

自然と生きる意味

ここにいてもいいという

存在価値を与えてくれている気がします。

 

この誰かのために生きる意味

が都会では見えにくいから

働いていても何しているかわからない

ということが起こってしまうんじゃないかなと思います。

 

誰かのために頑張りたい人は

きっと距離感の近い田舎や地域があってますよ。

 

橋本和明

 

余談ですが

今は誰しもが保険に入っています

保険はすごい制度だとは思いますが

当然昔は保険なんてなかった。

 

保険なんてなくても生きていけたのは

村でみんな持ちつ持たれつで生活してて

日頃から助け合っていたから

誰かが急病で倒れた時も

お金出し合ったり

生活のことを色々助け合ったり

それが当たり前だったんじゃないのかなぁ

と思ったりしてます。

 

そう考えると

保険って人間関係に代わる物を

お金を対価として得ているんだなぁと

 

お金を稼いでお金をかけて生きていくか

人間関係で補って生きていくのか

 

選択の時代が来ているように思います。

 

【あわせて読みたい】

www.hashimotokazuaki.com

www.hashimotokazuaki.com

www.hashimotokazuaki.com

www.hashimotokazuaki.com

www.hashimotokazuaki.com

www.hashimotokazuaki.com

【スポンサーリンク】