自分がやりたいことにこだわる必要はあるのか?

 

わからないから書きます。

 

自分がやりたいことにこだわる必要は

あるのか?ないのか?

 

あると言われればあるような気がするし

ないと言われればそんな気がする。

 

自分がやりたいことがあれば

その人はそれでいいと思う。

 

でも、ない人は探す必要があるのか?

 

正直、これがぼくのやりたいことです!

って言える人の方が今の時代は

生きやすいような気もする。

 

周りの人も応援しやすいし

わかりやすいし。

 

でも、そういう時代だからか

「やりたいことがないといけない」

になりすぎている気もする。

 

やりたいこと

あればいいけど

人間そんなシンプルじゃないと思う。

 

これがやりたいことです!

そんなことを20代のうちから言える人はべつに少数でいいと思うし

人間もっと複雑じゃないのかな。

 

話は少しそれますが

ぼくは写真をよく撮ります。

 

人間も自然もいろいろと

でも最近ふと思いました。

 

なんでぼくは写真を撮ってるの?

 

写真を撮るみなさん

この問いに答えられますか?

 

ぼくはわからなかった。

 

記録、記憶するため?

でもぼくの場合はあまり見返さない

 

広報をするため?

でもそれだけじゃない気がする

わざわざそれで一眼は買わない

 

インスタに載せるため?

今はこれになりつつあるのかなぁ〜

と思いつつも始めた理由はこれじゃない

 

写真を撮ること

残すこと

記録することは

もしかすると人間の本能的なものかもしれないけれど

 

ふと振り返ってみてわかったのは

写真を撮ら理由・続けている理由は

多分変わって来ている

 

それは知らず知らずのうちに

流行に流されていることもあるということ

 

つまりは

自分の理由以外にも

社会によってだいぶ変わる

 

最近

狩猟をやりたいという人が増えている。

鹿とか猪とかが山に増えていて

畑を荒らす害獣なんて呼ばれているし

 

自分で生き物を捌いたことがないから

普段の生活では生と死をあまり感じないから感じて生きたい

 

そんな理由の人が多いと思うが

これも結局はブームのような気がする

 

ずっとそう思う人もいるだろうけど

ブームがされば、注目されなくなれば

狩猟をやりたいという人はほとんどいなくなるんじゃないかと思うから

 

結局は

社会によって考えは左右されがち

 

そりゃ社会の中で生きてるから当たり前なんだけど、自分オリジナルというものはほぼ存在しないんじゃないかとぼくは思う。

 

でも

そう考えられると、だいぶ楽になる。

 

なぜなら

他人と同じでいてはいけない

というものがなくなるから。

 

つまり

自分のやりたいこと

そんなものはあってもなくてもいい

定まっていなくてもいい

 

ないと生きづらいなら作ればいい

 

結局は自分の都合でいいということ。

 

ちなみにぼくの場合は

自分のやりたいことはなんだ!?

と考えるのではなく

 

ぼくという人間の生命をどういう風に使うか

 

と考えて生きているという熊野英介という偉大な方の言葉を受けて、だいぶ気持ちが楽になった。

 

ぼくも

自分のやりたいことを探し続けて苦しんだ1人だったから。

 

そんなこんなで

なんだっていいんです。きっと

 

なくたって劣等感を覚える必要はないです。

 

探そうとするから見つからなくて

ふとした時に、あ、興味あるかも

ってものが運命を変えるかもしれないし

 

あなたが思っている以上に

誰もあなたのことに興味はないから。

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といってもわからないから書いてるんだけど

 

橋本和明

 

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