バガボンド

ツギツナグの橋本和明です。

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最近はバガボンドという漫画を読んでいます

 

この漫画は宮本武蔵が天下無双を目指して生きる人生の話なんですが、天下無双を目指し、名立たる強敵を倒し、切れば切るほど天下無双が分からなくなっていく。でも本当はその答えにたどり着いているのだろうけど、自分の心でそれを知ることはできない。

 

ここでは「天下無双」という言葉ですが「人」でも「愛」でも何にでも当てはまるようなことで、読んでいてとても深く考えさせられます。

 

今日は、そこから派生して考えたことをちらほらと。

 

 

恋愛と結婚

恋愛は誰しもがしないといけないものなのか?結婚の前に恋愛はなくてはならないものなのか?

 

恋愛と結婚はおそらく直結するものではない。そう思うのは恋愛してドキドキする相手と結婚して生きていきやすい人は必ずしも重なるものではないと思うから。子孫を繁栄させていきやすい相手というのも恋愛とはまたおそらく別物だと思う。

 

恋愛して結婚するのが理想の姿。結婚する前には恋愛するのが当たり前。そうあるのが自然体という考え方自体がもはやどこかおかしいのかもしれない。お見合いや、誰かの紹介という形がもっと一般的でもおかしくない。

 

もしかすると恋愛に固執することが日本の少子化の原因かもしれない。その姿はいつから固まったのかというときっと最近のことだろう。

 

恋愛と結婚を分けてしまえば手っ取り早いんだろうけども、妬み嫉みに加え、法律も絡んできておそらくもう不可能に近い。

 

みんな刺激的で楽しいから恋愛がしたいだけかもしれない。かといって結婚したいと考える人もまだ大半を占めているようにも思うし、なのに出会いがないという。すれ違うだけならおそらく多くの人が100人以上と出会っているのに。出会いがないという。出会いがないという事のせいにする。誰か何かのせいにする。

 

結局は何かから逃げているだけでしょうに。

 

学校で教えるべきもの

「いただきます。」という言葉の意味が分からなかった。23年にしてやっと最近少しわかってきた気がする。

「ごちそうさま」という言葉の意味はまだ分からない。だから「いただきました」という言葉を使っている。

 

普段使っている言葉は考えてみれば意味の分からないものだらけだ。もはや意味を持たず、言葉としてだけあるものも多い。

 

学校では形式ばかりを教えられていた気がする。意味も教えているつもりだったのかもしれないけれど、それも意味という名の形式で、ぼくは本当の意味を感じ取ることができなかった。

 

意味は知るものではなく感じるものだと思う。感じ取るのには時間がかかる。だから学校では感じ取る時間。考える時間を設けるべきではないかと思う。答えばかりを教えることが教育ではない。

 

それは、一般的な答えを持って苦しむ同世代を見て思うから。

 

幸せの在処

幸せとは何かというのはおそらく永遠の問い。

 

満ち足りた生活があれば幸せかというと恐らくそうではなくなるのが人間の厄介なところ。一般的な幸せを手に入れたとしても当人が納得しなければ幸せになりえないのが幸せの厄介なところ。その乖離から不倫や浮気は生まれるのかもしれない。

 

人間は仕事がなくなれば仕事を探すようになるだろう。それはお金を稼げるどうこうではなく、なにかできることを探し続ける。

 

生きている意味を見いだせなくなると死ぬしかなくなる。そう思うと人間はずっと考えて悩んでいたい生き物なのかもしれない。

 

いまは情報が多すぎて何に悩んで考えたいかわからずにショートしているようにも思うけれど、課題がなくなれば人間は死にたくなる。

 

愛する人とは

愛する人とは何か?

ならば他人とは何か

顔見知りとは何か

友人とは何か

親友とは何か

パートナーとは何か

そこには「何か」があるが

明確なものは何もないかもしれない。

 

所詮は言葉。

 

ぼくの場合は好きな度合。

大切にしたい度合の距離感の呼称。

 

した人しか大切にできない

ぼくの家に来たいです!という人はたくさんいる。でも本当に来る人は限られる。これは来る来ないの物理的な話だけではないけれど、結局は行動した人しか大切にできない。

 

それは行動してない人には関わりようがないから、大切にすることができない。思いがあっても届かなければ意味がない。

 

実際、本当に来てくれる人はいい人ばかりだ。そこにはやはり何か差があるのだろうし、行動の結果、大切にしようと思う何かが生まれる。

 

結末を考える

バガボンドはおそらく次で最終巻なのだが作者は2014年7月から最終話を年から描いていない。いや、描けていないようにも思う。

 

何度も読み返しながらぼくも結末を考える。だいたいの漫画の場合想像がつくけど、全く想像ががつかない。というより答えが出ないという表現のほうが正しいかもしれないです。

 

歴史的事実では武蔵が巌流島の戦いで佐々木小次郎に勝ったという結末が決まっています。漫画的なハッピーエンド的な結末もあるかもしれないです。

 

でも漫画の世界の中の、全37話の中で生きている武蔵は最終的に何を感じるのか。天下無双にどんな答えを見出すのか。それは必ずしも正解になりえないもののようにも思うし、すっきりとして終わるものなのかもわからない。人の人生ってそんなすっきりとしたものでもないしょうし。。

 

と考えれば考えるほど結末はわからなくなっていく。この休載の間は考える機会を与えられているような気がします。

 

気になる方は是非全巻読んでみてください。これから読む方は電子書籍ではなく断然紙の漫画をお勧めします。作者の井上雄彦先生は筆で書いているので紙のほうがその良さが伝わると思います。

 

ちなみに井上雄彦先生はスラムダンクの作者の方です。

 

と、最後は紹介になってしまいましたが最終話が出る前のこの考える機会に、武蔵の結末を考えるのはとてもお勧めです。

恐らく、結末を考えることは人としての生き方を考えることになります。

 

今日はここまで。

 

橋本和明

 

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