【新潟・移住】新卒1年目、大学を卒業して就職をせず、ぼくが荻ノ島に住み始めた理由
こんにちは!!
現代の百姓を目指している橋本和明です^^
今日はぼくが新卒1年目、大学を卒業して就職をしないで、新潟県にあるこの荻ノ島という地域に移住した理由について書きたいと思います。結構真剣に書いたので、少し長いですが、ぜひ読んでほしいです。
目次
今しかないと思った。![f:id:kokonisumitai:20170526144835j:plain f:id:kokonisumitai:20170526144835j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kokonisumitai/20170526/20170526144835.jpg)
こういう風に書くと初めから決断して荻ノ島という地域に移住したという風に読み取れますが、正確には流れ着いたという表現が正しいです。だからここに来るまで就職活動もしていました。
でも、なんかしっくりこず、悩んでいた頃に大学の先輩からiターン留学にいがたイナカレッジのインターンに誘われて、内定が1つもないのに8月~9月の期間、荻ノ島にインターンに行くことを決めました。(親にいろいろ言われてもきちんとした言い訳が考えつかなかったので、ちょうど最終面接の結果待ちのタイミングで新潟に行きました。そこも落ちましたが。)
そして参加した荻ノ島のインターンではお母さん方の聞き書き集を作るというプログラムに参加しました。1か月。お母さん方の話を聴いていく中で、失礼な言い方ですが「あぁ、この昔の生きる知恵を持ったお母さん方もあと少しで亡くなってしまうんだなあ」と思いました。その時に「これは一度就職してからでは遅いかもしれない」と思いました。
「将来は田舎で住みたい!!」という人も多いと思いますが「一度、都会で働いて5年?10年?それとも定年退職してからこういう田舎に来たのでは遅いな」と思ったんです。その時には、昔の生きる知恵を知ってる人も、環境も、何もかもなくなってるんだろうなと思いました。一種の危機感ですね。生きる知恵を失った人間は今社会にあるすべてのサービスがシャットダウンした時にどうなるんだろうかと、ぼくは怖くなったんです。
もしかしたら全然関係ないかもなしれないんですが、こういう方々の持っている生きる知恵が完全になくなった頃に戦争が起こるかもしれないとぼくは思ったんです。だから「防ぎたいな。」とまでは言えませんが「少しでも防げたらいいな」と思いました。
そして、ぼくの通っていた大学の学科は公共政策学部といって地域や政策形成に関わる憲法・民法・行政法などあらゆることを学ぶ学科でした。同じ学科の人の半数くらいは就職先として公務員になるようなところです。公務員は重要な仕事です。地域の政策をつくり、公務員(行政)の支援があるからこそ地域で活躍できている沢山の人がいます。
でも、今、本当に地域に足りないのは支援側よりもプレイヤーなんじゃないかとぼくは大学で学んでいて思いました。「いくら支援をしてもこれから現地で動く人、活躍する人がいなければ意味がないんじゃないのか?」そう思いました。だからぼくは現地で生きる人間になりたいと思いました。それに公務員はみんながなってくれるし、ぼくは別にならなくてもいいかなと思ったし、「何も考えず、何とかなるだろうと地域に入れるバカもそんなに多くないだろう(笑)」と思うことにして、ぼくは移住しました。
自然が好きだったから。![f:id:kokonisumitai:20170526144409j:plain f:id:kokonisumitai:20170526144409j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kokonisumitai/20170526/20170526144409.jpg)
ぼくは思い返せば、ずっと自然の中にいたような気がします。小さいころからボーイスカウトに入っていて、キャンプやハイキングなど自然の中で遊ぶのが好きでした。家にテレビゲームがなかったこともあり、外で遊ぶことが当たり前でした。部活もずっと大学までテニスをしていましたが、休みがあれば一人で山に登りに行ったりしてました。
都会の中にいると人の多さとか、空気とか、電車とかごちゃごちゃしてて何か嫌なことがあると「早くここから逃げ出したい」と喫茶店に逃げ込みますが、自然の中ならなんだか大抵の事なら耐えられます。自分が自然の中に溶け込んでいるな気がして心地がいい。いわゆる肌に合うというやつだと思います。
この感覚は誰でも暮らしを考える上でで意外とバカにできないと思うんです。
それに「人間の歴史をさかのぼってみて、特に日本人は山の中で生活してきた歴史のほうが長い。だから都会が肌に合わない人がいても、それはまぁもしかしたら当たり前なんじゃないのかなぁ」とお世話になってる地域の会長から言われて、妙に納得した自分がいます。
もしかしたら日本人の誰しもが自然の中で生活するほうが肌にあってるのかもしれませんよ。
一緒に夢を見たいと思ったから。![f:id:kokonisumitai:20170526145946j:plain f:id:kokonisumitai:20170526145946j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kokonisumitai/20170526/20170526145946.jpg)
荻ノ島はかやぶき屋根のある集落で、観光客の方が泊まることのできる宿もありますが、共生・協働という考え方を大切にしています。ぼくはこの考え方が「いいなぁ」と思いました。ここで一緒にこの考え方を大切にしていきたいと思いました。とてもしっくりきました。
就職活動をしていた時は、地域の商品開発や人の繋がりをつくるということに関心があって「それを実現できるところ」と考えて就職活動はしていたけど「繋がりはつくってそうだけど、手段はそれでいいのか」「企業としていいことはやってるけど、ぼく自身はここで働いてて理想の生活ができるのか」「興味のある内容だけど、ここで働いてるイメージができない」など、なんかしっくりこない。そんなこんなでフラフラしていて、たまたまのご縁で繋がってたどり着いた荻ノ島。
観光地だけれど、観光バスがガンガン来て地域の方が気を遣ったり、普段通り生活できなくなるのは本末転倒。だから訪れる人も、そこに住む人も心地がいいように。そして観光をしに来る人も荻ノ島のことを好きで大切にしてくれる人を大切にする。
商品があふれてる時代だからこそ消費的にはならないように。共に支えあう。どちらかが一方的に与えるのではなく協力して未来へ働いていく。そんな考え方に共感してここに住みたいと思いました。企業でいえば企業理念に共感したのと同じ感じですね。それがぼくの場合は荻ノ島でした。
好きな人ができたから。
あまり普段から他人に興味がなく、感情移入することも少ないと自分は思っているのですが、夏に1か月インターンに参加した時に本当にここの人たちが好きになりました。
何処から来た誰かわからない人間に1か月もの長い間、野菜をくれたり、暮らしの知恵を教えていただいたり、本当に好きになってしまった。別れるのがつらくなってまた戻ってきたいと思いました。結局は人なんですね。誰と生きていきたいか。これも大切だとぼくは思います。
ここに住みたいと思ったから
いろいろ理由を書いてみましたが、たぶん他にも理由があります。
でも結局は「ここに住みたい」そう思ったからここに住もうと思った。移住した。というのがぼくの答えです。
だから仕事は特に何でもいいんです。
やりたいことはたくさんありますが、ここで生きていくというのがぼくの第一目標です。その道として選んだのが現代の百姓といった感じです。
「これから生きていけるのか」とか「雪に埋もれてしまわないか」とか何かと心配はありますが。いまはこの荻ノ島に流れ着いてよかったと思います。
以上、だからぼくはほかのどこでもなくこの荻ノ島に住みたいと思いました。
まだまだ何もないですが、これからおもしろく、でもおだやかにじょんのびと、みんなが休まる場所を目指したいと思うのでぜひ遊びに来てくださいね^^
橋本和明
p.s.
ぼくはカメラが好きで、その人らしい自然体の写真を撮るのが好きです。
技術はないですが、好きだからかぼくが撮った写真をFacebookとかでプロフィール写真に使ってく」れる人がいます。これがなかなか嬉しくて。「もっと撮りたい!!」と思ったので、百姓の1つの生業にできたらなあと思ってます。
もし荻ノ島に遊びに来てくれた人で撮ってほしい人がいたら頼んでください^^そうじゃなくても勝手に撮ってるかもしれませんがww
【あわせて読むとおもしろい】