地域は結局、そこに誰がいるのかで決まる気がする
こんにちは!!
ツギツナグの橋本和明(@tsugitsunagu)です^^
現代の百姓を目指して修行中!!
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今日は地域と人にまつわる話
東京への一極集中
地域の人口減と少子高齢化
ここ数年はずっとこの言葉が言われていますが
ぼくは少しずつ地域に人が流れ出してると思っています
東北の大震災後は特に顕著かもしれません
ぼくの知人の矢野大地くん (@123Vaal) | Twitter
村・留学というプロジェクトを通して出会い、高知県の山奥に移住し、年間1000人以上が訪れるだいちハウス というところに住んでいます。
今でもお世話になっている尊敬する先輩なんですが、そんな大地君のツイッターにこんなコメントがあるのを見ました(言葉は完璧ではありません)
「だいちハウスに年間1000人以上人が来てるのはすごいけど、大地君がいるから、『その人がいるから』で人が来てるんだったら、も真似できないし、どこでも参考にできるというものではない」
というもの、言葉は同じではないですがこういった内容でした。
この言葉、読んでみてたしかにモデルケースとして真似できるようなものではないのかもなと思いましたが、なんか違う気がしてきました。
そもそも人間はほとんどの場合誰かがいる場所に集まっている気がします。
もちろん、自然環境が整い、人間が住める場所という前提条件はありますが、その中でなら人が、誰かがいる場所に集まってきたんではないでしょうか?
今でいうインフルエンサー的な人のいる場所に
今日、少し時間があったのでいつも通らない田んぼ沿いの道をずーっと走っていたんですが、「ずっと田んぼだな~」と思っていたら急に町が出てきたりする。
そんなとこには大概に城跡があったり、大きな寺や神社、産業があったりする。それはそこに誰か人間が城を作ったか、神様を祀って、そこに人間が住み始めたという流れのように思う。
つまり、誰かが何らかの理由で一番初めに入ってきた人間がいて、その周りに他の人が集まり、集落になるという経緯のように思う。
これは今の社会でも同じことのように思う。
いまの日本では多くの人が会社勤めだと思うが、会社もいわゆる法人。人である。誰かが始めた会社でそこに人が集まっている。そして大概の場合は会社の近くに住んでいる(交通手段が発達したので少し遠くに住む人もいるが)
こんな風に考えると、そもそもモデルケースという考え方がおかしいのかもしれない。もちろんうまくいく方法はあるのだろうけど、地域の特色はさまざま。
そして最終、地域の特色は人が作り出していくものだとぼくは思うので、その人がいないとおんなじケースなんて作れっこないと思います。
会社でも先代の社長が引退して、2代目社長になったけどダメダメで潰れました。というケースをよく聞きますし。
結局は人なんだと思います。
そこに誰がいるのか。
そこに誰が集まるのか。
集まって何をしていくのか。
考えながら、ぼくも地域を繋いでいけるような人間になりたいと思いました。
自分なりのやり方で。
橋本和明