“ほんものの暮らし”って何だ?

こんにちは!!

ツギツナグの橋本和明@tsugitsunaguです^^

現代の百姓を目指して修行中!!

 

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最近、田舎インターンとかが日本全国で開催されるようになってきたと思う。ぼく自身も今そういうインターンで生きているし、それ自体は基本的にとてもいいことだと思います。

 

そして、その中で「ほんものの暮らし」「本当の暮らし」というキーワードで募集をかけているものも多くあるんですが、それを見て、そもそも “ほんもの” って何だ?となりました。

 

なので今日はそのことについて少し考えてみたいと思います。

(※決してほんもの・本当というキーワードのついているインターンを否定しているわけではないです)

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“ほんもの”って何だろうか?

 

そう考えて行き着いたぼくの答えは「その人の人生が生み出したもの」です。

 

今、実施されている 田舎インターンで「ほんもの」や「本当」というタイトルで募集しているものは

 

「なんでも手作りな暮らし」「自然に寄り添った暮らし」「物を大切にしてる暮らし」

 

こういった系統が多いんではないでしょうか?

 

確かに魅力的です。ぼくも大好きです。

 

でも、これが “ほんもの” って言うのはなんでなんだろうか?

 

そこで行き着いたのが「その人の人生が生み出したもの」という答えです。

 

というのも、日本では高度経済成長期くらいから顕著にあらゆる地域で都市化が進みました。そして今に至る。

 

この過程で「自然に寄り添った暮らし」「なんでも手作りな暮らし」をする人は大幅に少なくなったと思います。

 

少なくなって失われつつある。

 

だから残そう。残さないといけないという気持ちが生まれる。

 

今、恐らくこういったインターンを牽引している多くは40代~60代くらいではないでしょうか?

 

その世代が小さいころに当り前にあった生活。そして今なくなりつつあるもの。それがいま多くのインターンで「ほんもの」「本当」というタイトルをつけているものの正体なんじゃないでしょうか?

 

もちろん、日本では歴史の大部分の期間を自然と寄り添って生活してきたと思います。日本には日本なりの生き方が代々受け継がれてきたと思います。

 

ですが、打製石器や磨製石器を使って洞窟で暮らす縄文時代の生き方が“ほんもの”だという人はなかなか見かけない。

 

それは縄文時代の生活をしてきた人生を歩んだ人が今はもう生きていないからじゃないでしょうか?

 

だから残さないといけないという気持ちもないし、わざわざなんでそんな不便をするんだと思うでしょう。

 

それと同じで、今の10代、20代と30代~60代の人生も全然違う。

 

ぼくなんかは生まれた時から携帯があって、高校のときにはもう誰でも持っているのが当たり前。でもぼくの親世代では考えられなかった話です。

 

当たり前というものそのものが違います。

 

時代が変わって、受け継がれる暮らしもあれば、変化していくものもある。

 

つまり、“ほんもの” というのは普遍的なものではなく、時代とともに変化していくものだと、ぼくは思います。

 

 

なので恐らく、世代によって “ほんもの”は変わってくる。言い方を変えれば今あるすべてのものが“ほんもの”ともいえる。

 

でも、その中で失われるものはたくさんあるでしょう。

 

それでも、残したいものがあるなら残すしかない。

それが自分にとってのほんものになる。

 

地域も、文化も、残したいと思う人が残し続けるから、ずっと“ほんもの”になり得ているんだろうなあ~

 

残すのはきっと大変なことだけど、どうせなら楽しくやっていきたいよね

 

橋本和明

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