宗教は怖いものではなく“心の拠り所” だと気付いた話

 

最近、宗教について

見直す機会がありました。

 

「すばらしい宗教に新しく入ったんです!!」とかいうことではないですが

 

今日は宗教の話。

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ぼくの家は辯天宗という宗教を信仰しています。(奈良とか和歌山の甲子園出場常連校で有名な智辯学園、智辯和歌山のやつです)

 

かといって正直ぼく自身は全く熱心でも何でもないんですが 、、

 

日本では宗教というと

「怪しい」「怖い」

という印象が強いです。

 

ぼくもそれほど

興味はなかったんですが

考え直す機会がありました。

 

先日

おじさんのお見舞いに行ってきました。

というのもおじさんの脳に腫瘍が見つかり、脳梗塞も併発して入院しています。

 

入院中、脈が不安定で

生命の危機があったそうです

その時におばあちゃんがお経を唱えると

徐々に安定してきたそうです。

 

神様の不思議な力とかいうつもりはなく

これって何なんだろうな?と思ったら

 

本当にどうしようもない時に

すがるところがあるかどうか

ということなのだろうなと思いました。

 

病気とか心を病んでどうしようもない時

家族にも友達にも言えないことがある時

人間を超えた存在だからこそ頼れる

お願いすることができるという存在が

宗教で、仏様や神様なのかもしれないと思いました。

 

神さま、仏様がついてるから大丈夫だと思えるものがあるという状況。

 

これは心の動きなので、証明しろと言われても証明できないんですが

 

“ 心身相関 ”

“ 病は気から ”

といいますし。

(これは信じてる。)

 

「あれだけいつも信仰してるから、助けてもらえる。大丈夫だ。」そう思えるものがあるのはとても強いことのように思いました。

 

病気にかかって死にそうで

もうダメかもしれないと

心で思ってしまうような時に

「神さまがついてるから大丈夫だ」

そう思えることで本当に生き長らえるということはあると思うんです。

 

いま殺人とか鬱とか

なんかいろいろ他の人間には

頼ることができないこととか

相談することができないこととか

何か抱えてる人が

たくさんいると思うんですけど

 

こんな時代だからこそ

人間を超えた存在を信じるというか

いざとなった時にすがれる存在

宗教って必要かもしれないなと

そんなことを思いました。

 

かといって

変な宗教とか教祖のための宗教

みたいなのもあると思っていて

そんなのにみんな入信して欲しいとは思わないので

難しいところだなぁと感じるものです。

 

 

橋本和明

 

 

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